原体験と使命をつなぐ思索の旅
万博で受け取った衝撃、SNS文化への違和感、稲荷信仰を軸にした需要創造——長年の思索と実践が融合した「ちぎーの想い」を深層まで辿ります。
1. ちぎーの想い〜原体験から使命へ〜
1-1. 観客から創造者への転換点:万博体験
決定的だったのは、未来をテーマとした大規模な展示の体験でした。「未来に向かって進む一体感」「多様な人々が協力する姿」「ワクワクする可能性への期待」を肌で感じたとき、私は「観客」から「創造者」へと立場を変えたいという強烈な欲求を抱きました。同時に、その体験が終わることへの名残惜しさも感じ、「自分もあのような場を創る側になりたい」と心から思いました。
1-2. 「未来への一体感」という衝撃
万博的なワクワク感と一体感——それは単なるイベントの高揚感ではありませんでした。異なる背景を持つ人々が、共通の未来ビジョンに向かって歩み寄り、協力し合う姿。競争ではなく共創、排除ではなく包摂。そこには、私が理想とする社会の縮図がありました。
観客として味わった「未来への期待」「人々との連帯感」「新しい価値観との出会い」——これらの感動を、今度は創造者として人々に提供したい。その思いが、私の原動力となっています。
1-3. SNS的弱肉強食文化への違和感
しかし現代社会、特にSNSが浸透した環境では、弱肉強食的な競争文化が蔓延しています。いいねの数やフォロワー数で価値が決まり、他者を蹴落としてでも上に行こうとする風潮。これは本来の日本的な精神性とは大きく異なるものです。
数値化された承認、瞬間的な評価、表層的な関係性——これらが人間の価値を決めるかのような世界観に、私は深い違和感を覚えます。人の価値は数字では測れない。一人ひとりに固有の輝きがあり、それぞれが社会に貢献できる何かを持っている。
1-4. 日本的な相互扶助精神の再発見
日本には長い間、相互扶助や弱者への配慮、共同体での支え合いという美しい精神性がありました。困っている人がいれば自然に手を差し伸べ、一人で抱え込まずにみんなで解決していく。競争よりも協力を、個人の勝利よりも全体の調和を重視する価値観です。
私は、このSNS的弱肉強食文化から脱却し、本来の日本的精神性を現代に復活させたいと強く願っています。それは過去への回帰ではなく、現代の技術や環境の中で、より良い人間関係と社会のあり方を再構築することです。
1-5. 「買われる」から「買ってもらう」への転換
経済的には「買われるよりも買ってもらう」という能動的立場を重視しています。外国資本による重要な資産や文化的価値の買収を避け、日本が主体的に価値を発信し、世界に売るという立場を確立したいと考えています。
「買っていただく」という謙虚な表現にも、深い重みが宿っています。それは相手の貴重な時間と資源を、本来不要なものに託してもらうことへの畏怖の表明です。選ばれる唯一の理由は「最高だったから」でしかありません。この緊張感を持ち続けることが、真の価値創造につながります。
1-6. 文化的アイデンティティの軸:稲荷信仰
私にとって稲荷信仰は自然な軸となっています。それは単なる宗教的信仰ではなく、日本の精神文化の根幹をなす価値観の体系です。自然との共生、目に見えないものへの畏敬、循環と再生の思想——これらが凝縮された世界観が、稲荷信仰には息づいています。
稲荷・狐を象徴として、世界中の興味を持つ人が集まる場を創造し、伝統的な価値観を現代的な形で世界に発信していきたい。これは単なる文化保存ではなく、新しい価値創造でもあります。
未来への一体感
万博的な高揚を「観客」から「創造者」へと変換する原動力。
相互扶助の再設計
SNS的弱肉強食文化から、日本的な支え合いの精神を現代に取り戻す。
稲荷信仰の軸
伝統と未来を結ぶ象徴として、世界に開かれた形で価値を発信する。
1-7. 過去の智慧を現代に翻訳する責任
過去から受け継がれた智慧や価値観を現代に翻訳し、未来へと継承していく責任を感じています。古い智慧を現代に翻訳し、実際の生活や仕事に活用できる形で継承する動的なシステムを構築したいのです。
これは排外主義ではなく、文化理解を前提とした相互尊重に基づく真の国際関係を築きたいという願いです。外国人には日本の文化・風習を深く理解した上で関わってもらい、単なる消費的観光ではなく、文化的価値を理解し持ち帰ってもらいたいと思っています。
1-8. 世界に開かれた姿勢と文化理解
文化的アイデンティティを大切にしながらも、グローバルな視点で世界に開かれた姿勢を維持したいと考えています。これは矛盾ではありません。自分たちの価値観をしっかりと持つことで、初めて他者の価値観も尊重できるのです。
国際交流領域では、文化理解を前提とした真の相互理解プログラムにより、深いつながり、異文化への本当の理解、グローバルな視野での自己成長への需要を満たしたい。表面的な交流ではなく、互いの文化の深層にある価値観を理解し合える関係を築きたいのです。
1-9. 日本人としての誇りを持てる社会へ
私が描く未来は、「各人が自分の意味資源(信仰・ケア)に安心してアクセスでき、日本人が日本人であることに日常的な誇りを持てる、文化的自尊が静かに更新され続ける社会」です。
これは伝統的価値観の現代的復活、需要創造による持続可能な経済、文化理解に基づく国際交流、過去と未来を繋ぐ架け橋としての役割意識、弱者への配慮が根付いた共同体、観客ではなく創造者として参加する人々、万博的なワクワク感と一体感が日常化した環境——これらの要素が統合された社会です。
2. ちぎーの深淵〜思索の深層へ〜
2-1. 多層現実という世界認識
私たちが「現実」と呼ぶものは、実は幾重にも重なり合った認識の層である。思考も、感覚も、自己肯定感も、これらは各層の相互演算による「合成物」に過ぎない。私たちが確固たる「自分」だと信じているものは、実はこの多層システムが生み出す創発的な現象なのだ。
現実は解釈によって創造される。その構造を理解し、新しい現実を生成する。これが私の「深淵」であり、日々実践している思想的冒険だ。
2-2. 本能OSと社会OS、そして文化的ドライバー
人間の意識を、私は二つのオペレーティングシステムとして理解している。深層で動く「本能OS」と、表層で作動する「社会OS」。そして日本人には、この二つを橋渡しする独特の「ドライバー」がインストールされている。それは文化的規範という名のミドルウェアだ。
この多層構造を理解することで、人間行動の深層にあるメカニズムが見えてくる。なぜ人は矛盾した行動を取るのか。なぜ理性と感情が葛藤するのか。それは異なるレイヤーのOSが同時に作動しているからだ。
2-3. 境界の幻想と量子的思考
固定と流動、内と外、個と群。私たちは境界線を引くことで世界を理解しようとする。しかし、その境界線こそが最大の幻想かもしれない。
量子重ね合わせ型の座席を想像してみてほしい。そこにあって、そこにない。占有していて、共有している。この矛盾を矛盾のまま受け入れたとき、新しい空間認識が生まれる。密度錯覚システム、相対的時間拡張。これらは単なる思考実験ではない。認識の枠組みを変えることで、物理的制約すら超越できることを示唆している。
2-4. 創造的懐疑による真理探究
見えるものに執着するな。これは単なる禅問答ではない。表層の向こう側にある深層構造を読み解くための、実践的な方法論だ。
仮説を立て、論理を構築し、検証する。このサイクルを回すとき、私は独断と偏見を恐れない。むしろそれらを武器として積極的に活用する。なぜなら、創造的な解釈こそが新しい現実を生成する原動力だからだ。批評的思考とは、物事を多角的に見る技術である。しかしそれは相対主義に陥ることではない。むしろ、より深い真実に到達するための、螺旋状の上昇運動なのだ。
2-5. 存在を生成プロセスとして捉える
すべては「ある」のではなく「なっていく」。存在とは静的な状態ではなく、動的な生成過程である。関係性の相互作用が織りなす、絶え間ない変化のプロセス。エネルギーの流れが現実を形作り、意識がそれを方向づける。
私が「土を耕し、水を引いてから、花を咲かせる」と言うとき、それは単なる順序の話ではない。生成のプロセスそのものが価値であり、結果はその必然的な顕現に過ぎないという洞察だ。
2-6. 関係性が織りなす現実の生成
現実は単独では存在しない。すべては関係性の網の目の中で生成される。人と人、人と物、人と場所、そして人と見えないもの——これらの関係性が複雑に絡み合い、相互作用することで、私たちが「現実」と呼ぶものが立ち上がる。
架け橋を作るということは、この関係性の網の目に新たな糸を加えることだ。それは単なる接続ではなく、新しい現実を生成する創造的行為である。
2-7. 実践こそが思想を深化させる
経営人類学、地方創生の哲学、企画立案への形而上学的アプローチ。これらは思想の社会実装である。理論は実践と分離されず、実践こそが理論を検証し、深化させる。
思想が机上の空論に終わらないためには、それを現実世界で試し、フィードバックを受け、修正し、再び試すというサイクルが必要だ。私にとって、ビジネスも、文化活動も、すべてが思想の実験場である。
2-8. 狐の生態系から学ぶ持続可能性
狐の生態系から学ぶ持続可能性。資本主義社会における効率と人間性の両立。これらの課題に向き合うとき、私は常に多層的な視点を保持する。表面的な解決策ではなく、存在の本質に迫る深い洞察を求めて。
狐は適応の天才だ。都市にも森にも、神社にも民家にも、どこにでも生きる場所を見つける。しかし決して自分の本質を失わない。この柔軟性と芯の強さの両立こそ、私たちが学ぶべき持続可能性のモデルではないか。
2-9. 深淵を覗く=内なる宇宙との対話
深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いている。しかし恐れる必要はない。なぜなら、その深淵こそが私たち自身の内なる宇宙だからだ。多層現実の創造的解釈学とは、結局のところ、自己と世界の同時的な再創造なのである。
これらの思考は、固定された真理ではない。常に更新され、深化し、時に否定されることで、より豊かな理解へと成長していく。深淵に終わりはない。
終わりをきれいに。次を強く。
過去・現在・未来の橋渡しとして、想いと価値を丁寧に手渡していく覚悟を共有したい。
私のこの想いは、単なる個人的成功を超えた社会変革への意志です。複雑な心理状態から始まった思索が、やがて確固たる使命感へと昇華されました。過去の智慧と未来の可能性を繋ぐ架け橋創造者として、文化的誇りと経済的自立を両立し、世界に独自の価値を提供しながら自らの核となる価値観を守り続ける社会の実現に向けて、私は確信と情熱を持って取り組んでいきます。
この長期的なプロセスに、私は覚悟を固めて臨んでいます。なぜなら、それが「日本人が日本人としての誇りを持ち、その誇りが世界からも尊敬される未来」を実現する道だと信じているからです。